有価証券報告書 抜粋 ドキュメント番号: S100DDM2
大平洋金属株式会社 沿革 (2018年3月期)
1949年12月 | 企業再建整備計画の認可に基づき、日本曹達株式会社の鉄鋼部門より分離し、北陸の四工場を擁して日曹製鋼株式会社設立。 |
1952年1月 | 東京証券取引所、大阪証券取引所に上場。 |
1954年3月 | 新発田工場の砂鉄銑設備をフェロニッケル製錬設備に転換。 |
1957年5月 | 八戸工場完成し砂鉄銑の製造開始。 |
1959年5月 | 大平洋ニッケル株式会社設立に伴い新発田工場を分離。 |
1965年4月 | 八戸工場の銑鉄生産設備の一部を合金鉄生産設備に転換。 |
1966年7月 | 習志野機械工場完成。 |
1966年11月 | 八戸工場において、フェロニッケルの生産開始。 |
1966年12月 | 八戸工場において、ステンレス鋼の生産開始。 |
1970年1月 | 大平洋ニッケル株式会社を吸収合併し、大平洋金属株式会社に商号変更。 |
1973年3月 | フィリピンのリオ・チュバ・ニッケル鉱山株式会社に資本参加し、ニッケル鉱山を開発。 |
1979年7月 | 新潟工場完成に伴い新発田工場電磁材部門、活性炭部門を移設し同工場閉鎖。 |
1983年6月 | 岩瀬工場を分離し、大平洋ランダム株式会社に研削材部門を営業譲渡。 |
1984年7月 | 直江津工場、富山工場、習志野機械工場を分離し、鋳鋼部門、鍛鋼部門、機械部門をそれぞれ大平洋特殊鋳造株式会社、大平洋製鋼株式会社、大平洋機工株式会社に営業譲渡。 |
1997年1月 | 株式会社大平洋エネルギーセンター設立。 |
1998年7月 | ステンレス鋼丸棒・線材部門からの撤退。 |
1999年9月 | ステンレス鋼及びその他の非ニッケル部門から撤退し、フェロニッケル専業メーカーとなる。 新潟工場閉鎖。 |
2003年8月 | 廃棄物リサイクル事業の「焼却灰・ホタテ貝殻リサイクル施設」完成。 |
2006年6月 | 廃棄物リサイクル事業の「溶融飛灰リサイクル施設」完成。 |
2014年2月 | 廃棄物リサイクル事業の「溶融飛灰リサイクル事業」撤退。 |
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