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有価証券報告書 抜粋 ドキュメント番号: S100R0QX (EDINETへの外部リンク)

有価証券報告書抜粋 株式会社岩手日報社 沿革 (2023年3月期)


提出会社の経営指標等メニュー事業の内容

1876年7月21日、盛岡・呉服町の活版業・川越勘兵衛親子による「日進社」から岩手県初の新聞として発刊された「巖手新聞誌」が本紙の前身です。この新聞は和とじの小冊子で、ただ1号だけで廃刊となりましたが、後に「日進新聞」、「巖手新聞」と改題。1886年9月には銀行家に買い取られて新たに「巖手日日新聞」として創刊されました。しかし、1890年9月、政党機関紙化した「巖手日日新聞」は、姉妹紙である「巖手公報」に吸収され、さらに1897年3月、「盛岡日報」と合併し、「巖手日報」として装いを新たにしました。後に題字を「岩手日報」とするなどの幾多の変遷を経てきましたが、1938年1月、銀行の支配下にあるのをいさぎよしとしなかった社内有志は岩手日報従業員組合を組織し、日刊「新岩手日報」を発行。銀行系岩手日報はまもなく発行不能に陥ったため、「新岩手日報」は県内唯一の日刊紙となりました。
その後の主な沿革は次のとおりです。
1938年6月従業員組合により資本金5万円で株式会社新岩手社を設立、経営を同社に移す
1951年9月「新岩手日報」5,000号を機に「岩手日報」に題字を変更
1962年1月社名を株式会社岩手日報社と商号変更、6月に払込資本金1億7,000万円とし、10月に現在地の盛岡市内丸に地上3階地下1階の新社屋を完成させる
1969年12月本社本館に4、5階を増築、別館1、2階の改装工事が完成
1974年6月株式会社岩手日報広告社を100%出資で設立(現・連結子会社)、総合広告代理店のほか住宅展示場を運営
1980年3月販売店組織岩手日報会と共同出資で新聞折込広告、発送、各種広告業、デザイン制作を営業内容とする岩手日報アド・ブランチ株式会社を設立(現・連結子会社)
1982年6月一関市大手町に地上5階地下1階の一関支社ビル完成
1991年6月盛岡市大通3丁目に三浦新聞店と共同出資で株式会社岩手日報こずかたセンターを設立(現・連結子会社)、新聞販売、折込広告配達を強化
1992年10月第54期株主総会で新株6万株を縁故募集により発行を承認可決、資本金2億円とする
1994年12月盛岡市みたけ4丁目に「制作センター」完成。地上3階、地下1階、カラーキーレスのタワー式輪転機2セット導入。朝刊32ページ印刷体制を確立
2007年1月「制作センター」にカラー輪転機2台増設、カラー16ページを含む40ページ印刷体制を確立
2010年7月夕刊を休刊、朝刊に統合。朝刊単独紙に
2011年3月東日本大地震で発生した津波により陸前高田支局流出、大船渡支局が全壊
2011年4月
2014年9月
大船渡市盛町に陸前高田・大船渡合同支局を開設
陸前高田市高田町に陸前高田支局を開設、陸前高田・大船渡合同支局は大船渡支局に
2016年4月

2017年1月
2019年7月
矢巾町広宮沢に「制作センター」を新築、盛岡市みたけから移転。地上3階建、4×1式輪転機2セット導入。カラー24ページを含む40ページ印刷体制を確立
大船渡市赤沢に大船渡支局を新築、移転。東日本大震災で被害を受けた支局は全て再建
電子新聞「岩手日報デジタル版」を発行

提出会社の経営指標等事業の内容


このコンテンツは、EDINET閲覧(提出)サイトに掲載された有価証券報告書(文書番号: [E00701] S100R0QX)をもとにシーフル株式会社によって作成された抜粋レポート(以下、本レポート)です。有価証券報告書から該当の情報を取得し、小さい画面の端末でも見られるようソフトウェアで機械的に情報の見栄えを調整しています。ソフトウェアに不具合等がないことを保証しておらず、一部図や表が崩れたり、文字が欠落して表示される場合があります。また、本レポートは、会計の学習に役立つ情報を提供することを目的とするもので、投資活動等を勧誘又は誘引するものではなく、投資等に関するいかなる助言も提供しません。本レポートを投資等の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。本レポートを利用して生じたいかなる損害に関しても、弊社は一切の責任を負いません。
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